ウロとは、ウロロジー(泌尿器科)のこと、
ギネとは、ギネコロジー(婦人科)のこと
そして、私たちは、
いままでの概念で見過ごしてきた
医学の谷間へ挑戦していきます。

理念

  • ●泌尿器科と婦人科の境界領域への挑戦
  • ●病気を、体全体にとらえて、生活の指導から手術ケアまでのトータルケア

理念のために(1) 医の倫理に特有なものを3つ厳守します


理念のために、必要なものを、3つ規定して、私たちは、自らに誠実に勉強を
継続します。それは、共感(compassion)、能力(competence)と 自律(autonomy)
の3つです。我々は、その3つの定義を、世界医師会の解釈をもとに、理解し
これからも継続して、高い水準でたもつように、こころがけます。

世界医師会のホームページ(日本医師会の翻訳)から
『共感(compassion)は、他者の苦痛に対する理解と気遣いと定義され、医療
の実践には欠かせないものです。患者が抱える問題を扱うためには、医師は、患
者が経験している症状とその原因を突き止め、苦痛を取り除く手助けをしたいと
強く願わなければなりません。患者が、医師が病気から来る患者の不安を理解し、
病気ではなく患者自身を治療してくれていると感じ取ると、よりよい治療効果が
表れるものです。
医師には高度の能力(competence)が期待され、要求されます。能力がない
と、患者を死や深刻な病状に追いやりかねません。医師は、能力を確実に習得す
るために、長期の訓練を受けますが、医学的知識の急速な発展を考えれば、医師
となった後もその能力の維持が継続的な課題となります。さらに、維持を必要と
するのは科学的知識や技術だけではなく、倫理的な知識、技術、態度も同様です。
医療の実践や社会的、政治的環境の変化とともに、新たな倫理問題が生じるから
です。
自律(autonomy)あるいは自己決定(self-determination)は、年月とともに、
最も変化してきた医療の核心的価値です。患者の治療方法を決定するにあたり、
医師には伝統的に高度の臨床上の自律性が認められていました。医師(医療専門
職)は全体として、医学教育や医療水準を自由に決定していました。本書で明ら
かになるとおり、医師の自律性を前面に出すこのようなやり方は、多くの国にお
いて、政府や、医師に関わるその他の規制当局によって、抑制されつつあります。
このような難しい状況にもかかわらず、医師は、臨床家と専門職としての自律性
をいっそう重視し、それをできる限り守ろうとしています。同時に、患者に影響
を及ぼす事項については、患者自身が最終的な意思決定を行うべきだという、患
者の自律性(patient autonomy)を認める動きが、世界中の医師の間で広がりつ
つあります。』

たとえば、共感のために、われわれは、楽しく努力をしてきました。それは、
具体的には待合室で順番をまっている人たちのために、勉強になるビデオとお笑い
の楽しいビデオを交互にながしたり、スタッフにに余裕があると、
『まだ順番ではないのですが、先生の前にでると緊張していつも言えないことはない
ですか?なにか悩みがないかおしえてください』とうががいにいきます。
これは、共感をえるための、たのしい努力のひとつです。



(97歳の男性が待合室でつかれないように、話しかけながら、悩みがないかを
ききだしているスタッフ)

理念のために(2) 高い研究水準をもって医学水準とするために。


医学の谷間に挑戦することは、いまだ誰も考え付かなかった方法を、既存の確証された
方法をくつもくみあわせて、つくりあげることが必要です。それは、医師患者間の信用
に基づきます。そして、それは、ある意味で、研究的側面があることを、わすれてはい
けません。
研究的側面は、ヘルシンキ宣言(1964年)を採択し、必要に応じては、大学病院で
多くの医師とのカンファレンスを通じて、手術内容を検証します。

たとえば、当院が取り組んでいる『膀胱膣ろう』という病気は、解決方法が
ありません。そのため、この病気に関しては、面倒でも大学にて多くの医師
が確認している前で、実施し、その手術の是非を検証していくことになります。



(中心で、オリジナルの手術帽子をしているのが奥井医師。多くの医師が見守る
環境で、指導をしながら、そして、話し合いながら手術をすすめる)


ヘルシンキ宣言は、以下です。

ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則

A.序言

1. 世界医師会は、ヒトを対象とする医学研究に関わる医師、その他の関係者に対する指針を示す倫理的原則として、ヘルシンキ宣言を発展させてきた。ヒトを対象とする医学研究には、個人を特定できるヒト由来の材料および個人を特定できるデータの研究を含む。
2. 人類の健康を向上させ、守ることは、医師の責務である。医師の知識と良心は、この責務達成のために捧げられる。
3. 世界医師会のジュネーブ宣言は、「私の患者の健康を私の第一の関心事とする」ことを医師に義務づけ、また医の国際倫理綱領は、「医師は患者の身体的および精神的な状態を弱める影響をもつ可能性のある医療に際しては、患者の利益のためにのみ行動すべきである」と宣言している。
4. 医学の進歩は、最終的にはヒトを対象とする試験に一部依存せざるをえない研究に基づく。
5. ヒトを対象とする医学研究においては、被験者の福利に対する配慮が科学的および社会的利益よりも優先されなければならない。
6. ヒトを対象とする医学研究の第一の目的は、予防、診断および治療方法の改善ならびに疾病原因および病理の理解の向上にある。最善であると証明された予防、診断および治療方法であっても、その有効性、効果、利用しやすさおよび質に関する研究を通じて、絶えず再検証されなければならない。
7. 現在行われている医療や医学研究においては、ほとんどの予防、診断および治療方法に危険と負担が伴う。
8. 医学研究は、すべての人間に対する尊敬を深め、その健康と権利を擁護する倫理基準に従わなければならない。弱い立場にあり、特別な保護を必要とする研究対象集団もある。経済的および医学的に不利な立場の人々が有する特別のニーズを認識する必要がある。また、自ら同意することができないかまたは拒否することができない人々、強制下で同意を求められるおそれのある人々、研究からは個人的に利益を得られない人々およびその研究が自分の治療と結びついている人々に対しても、特別な注意が必要である。
9. 研究者は、適用される国際的規制はもとより、ヒトを対象とする研究に関する自国の倫理、法および規制上の要請も知らなければならない。いかなる自国の倫理、法および規制上の要請も、この宣言が示す被験者に対する保護を弱め、無視することが許されてはならない。

B.すべての医学研究のための基本原則
10. 被験者の生命、健康、プライバシーおよび尊厳を守ることは、医学研究に携わる医師の責務である。
11. ヒトを対象とする医学研究は、一般的に受け入れられた科学的原則に従い、科学的文献の十分な知識、他の関連した情報源および十分な実験ならびに適切な場合には動物実験に基づかなければならない。
12. 環境に影響を及ぼすおそれのある研究を実施する際の取扱いには十分な配慮が必要であり、また研究に使用される動物の生活環境も配慮されなければならない。
13. すべてヒトを対象とする実験手続の計画と作業内容は、実験計画書の中に明示されていなければならない。この計画書は、考察、論評、助言、および適切な場合には、承認を得るために特別に指名された倫理審査委員会に提出されなければならない。この委員会は、研究者、スポンサーおよびそれ以外の不適当な影響を及ぼすすべてのものから独立であることを要する。この独立した委員会は、研究が行われる国の法律および規制に適合していなければならない。委員会は進行中の実験をモニタリングする権利を有する。研究者は委員会に対し、モニタリングによる情報、特にすべての重篤な有害事象について情報を報告する義務がある。研究者は、資金提供、スポンサー、研究関連組織との関わり、その他起こりうる利害の衝突および被験者に対する報奨についても、審査のために委員会に報告しなければならない。
14. 研究計画書は、必ず倫理的配慮に関する言明を含み、またこの宣言が言明する諸原則に従っていることを明示しなければならない。
15. ヒトを対象とする医学研究は、科学的な資格のある人によって、臨床的に有能な医療担当者の監督下においてのみ行われなければならない。被験者に対する責任は、常に医学的に資格のある人に所在し、被験者が同意を与えた場合でも、決してその被験者にはない。
16. ヒトを対象とするすべての医学研究プロジェクトは、被験者または第三者に対する予想しうる危険および負担を、予見可能な利益と比較する注意深い評価が事前に行われていなければならない。このことは医学研究における健康なボランティアの参加を排除しない。すべての研究計画は一般に公開されていなければならない。
17. 医師は、内在する危険が十分に評価され、しかもその危険を適切に管理できることが確信できない場合には、ヒトを対象とする医学研究に従事することを控えるべきである。医師は、利益よりも潜在する危険が高いと判断される場合、または有効かつ利益のある結果の決定的証拠が得られた場合には、すべての実験を中止しなければならない。
18. ヒトを対象とする医学研究は、その目的の重要性が研究に伴う被験者の危険と負担にまさる場合にのみ行われるべきである。これは、被験者が健康なボランティアである場合は特に重要である。
19. 医学研究は、研究が行われる対象集団が、その研究の結果から利益を得られる相当な可能性がある場合にのみ正当とされる。
20. 被験者はボランティアであり、かつ十分説明を受けたうえでその研究プロジェクトに参加するものであることを要する。
21. 被験者の完全無欠性を守る権利は常に尊重されることを要する。被験者のプライバシー、患者情報の機密性に対する注意および被験者の身体的、精神的完全無欠性およびその人格に関する研究の影響を最小限にとどめるために、あらゆる予防手段が講じられなければならない。
22. ヒトを対象とする研究はすべて、それぞれの被験予定者に対して、目的、方法、資金源、起こりうる利害の衝突、研究者の関連組織との関わり、研究に参加することにより期待される利益および起こりうる危険ならびに必然的に伴う不快な状態について十分な説明がなされなければならない。対象者はいつでも報復なしに、この研究への参加を取りやめ、または参加の同意を撤回する権利を有することを知らされなければならない。対象者がこの情報を理解したことを確認したうえで、医師は対象者の自由意志によるインフォームド・コンセントを、望ましくは文書で得なければならない。文書による同意を得ることができない場合には、その同意は正式な文書に記録され、証人によって証明されることを要する。
23. 医師は、研究プロジェクトに関してインフォームド・コンセントを得る場合には、被験者が医師に依存した関係にあるか否か、または強制の下に同意するおそれがあるか否かについて、特に注意を払わなければならない。もしそのようなことがある場合には、インフォームド・コンセントは、よく内容を知り、その研究に従事しておらず、かつそうした関係からまったく独立した医師によって取得されなければならない。
24. 法的無能力者、身体的もしくは精神的に同意ができない者、または法的に無能力な未成年者を研究対象とするときには、研究者は適用法の下で法的な資格のある代理人からインフォームド・コンセントを取得することを要する。これらのグループは、研究がグループ全体の健康を増進させるのに必要であり、かつこの研究が法的能力者では代替して行うことが不可能である場合に限って、研究対象に含めることができる。
25. 未成年者のように法的に無能力であるとみられる被験者が、研究参加についての決定に賛意を表することができる場合には、研究者は、法的な資格のある代理人からの同意のほか、さらに未成年者の賛意を得ることを要する。
26. 代理人の同意または事前の同意を含めて、同意を得ることができない個人被験者を対象とした研究は、インフォームド・コンセントの取得を妨げる身体的/精神的情況がその対象集団の必然的な特徴であるとすれば、その場合に限って行わなければならない。実験計画書の中には、審査委員会の検討と承認を得るために、インフォームド・コンセントを与えることができない状態にある被験者を対象にする明確な理由が述べられていなければならない。その計画書には、本人あるいは法的な資格のある代理人から、引き続き研究に参加する同意をできるだけ早く得ることが明示されていなければならない。
27. 著者および発行者は倫理的な義務を負っている。研究結果の刊行に際し、研究者は結果の正確さを保つよう義務づけられている。ネガティブな結果もポジティブな結果と同様に、刊行または他の方法で公表利用されなければならない。この刊行物中には、資金提供の財源、関連組織との関わりおよび可能性のあるすべての利害関係の衝突が明示されていなければならない。この宣言が策定した原則に沿わない実験報告書は、公刊のために受理されてはならない。

C.メディカル・ケアと結びついた医学研究のための追加原則
28. 医師が医学研究を治療と結びつけることができるのは、その研究が予防、診断または治療上価値がありうるとして正当であるとされる範囲に限られる。医学研究が治療と結びつく場合には、被験者である患者を守るためにさらなる基準が適用される。
29. 新しい方法の利益、危険、負担および有効性は、現在最善とされている予防、診断および治療方法と比較考量されなければならない。ただし、証明された予防、診断および治療方法が存在しない場合の研究において、プラセボまたは治療しないことの選択を排除するものではない。
30. 研究終了後、研究に参加したすべての患者は、その研究によって最善と証明された予防、診断および治療方法を利用できることが保障されなければならない。
31. 医師は治療のどの部分が研究に関連しているかを患者に十分説明しなければならない。患者の研究参加の拒否が、患者と医師の関係を断じて妨げるべきではない。
32. 患者治療の際に、証明された予防、診断および治療方法が存在しないときまたは効果がないとされているときに、その患者からインフォームド・コンセントを得た医師は、まだ証明されていないかまたは新しい予防、診断および治療方法が、生命を救う、健康を回復する、あるいは苦痛を緩和する望みがあると判断した場合には、それらの方法を利用する自由があるというべきである。可能であれば、これらの方法は、その安全性と有効性を評価するために計画された研究の対象とされるべきである。すべての例において、新しい情報は記録され、また適切な場合には、刊行されなければならない。この宣言の他の関連するガイドラインは、この項においても遵守されなければならない。

*脚注:
WMAヘルシンキ宣言第29項目明確化のための注釈
WMAはここに、プラセボ対照試験を行う際には最大限の注意が必要であり、また一般にこの方法は既存の証明された治療法がないときに限って利用するべきであるという立場を改めて表明する。しかしながら、プラセボ対照試験は、たとえ証明された治療法が存在するときであっても、以下の条件のもとでは倫理的に行ってよいとされる。 ・やむを得ず、また科学的に正しいという方法論的理由により、それを行うことが予防、診断または治療方法の効率性もしくは安全性を決定するために必要である場合。 ・予防、診断、または治療方法を軽い症状に対して調査しているときで、プラセボを受ける患者に深刻または非可逆的な損害という追加的リスクが決して生じないであろうと考えられる場合。
ヘルシンキ宣言の他のすべての項目、特に適切な倫理、科学審査の必要性は順守されなければならない。

WMAヘルシンキ宣言第30項目明確化のための注釈
WMAはここに次の見解を再確認する。すなわち、研究参加者が研究によって有益と確認された予防、診断および治療方法、または他の適切な治療を試験終了後に利用できることは、研究の計画過程において明確にされていることが必要である。試験後の利用に関する取決めまたはその他の治療については、倫理審査委員会が審査過程でその取決めを検討できるよう、実験計画書に記載されなければならない。

理念のために(3) 医者患者関係の理想をもとめるために


ジュネーブ宣言
医師の一人として参加するに際し、
・私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に誓う。
・私は、私の教師に、当然受けるべきである尊敬と感謝の念を捧げる。
・私は、良心と尊厳をもって私の専門職を実践する。
・私の患者の健康を私の第一の関心事とする。
・ 私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後において
も尊重する。
・私は、全力を尽くして医師専門職の名誉と高貴なる伝統を保持する。
・私の同僚は、私の兄弟姉妹である。
・ 私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病もしくは障害、信条、
民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的志向、または社
会的地位といった事柄の配慮が介在することを容認しない。
・ 私は、たとえいかなる脅迫があろうと、生命の始まりから人命を最大限に尊
重し続ける。また、人道に基づく法理に反して医学の知識を用いることはし
ない。
・私は、自由と名誉にかけてこれらのことを厳粛に誓う。

これは、ジュネーブ宣言といわれます。われわれ医師が、患者さんに対して接する上で、理想の関係をもとめる姿勢を説いたものです。
このことに関して、具体的には、われわれは、このように実践をしてきました。


(往診にいって、記念写真をとりました)

たとえば、『特定疾患管理料』という言葉をご存知でしょうか?これは、高血圧や糖尿病など
多くの疾患が適応になります。いままで、いろんな病院に奥井医師が勤めてきて、どの病院でも”管理料や加算の点数をとる”という表現でした。でも、違います。この管理料や加算を
患者さんに払っていただくだけの、こころのこもったサービスが大切なのです。書類をかけば
お金がとれるという言い方は、誠実ではありません。日本国の規則で存在する料金は、
みとめますが、そのぶん、手紙を書いてあげたり、往診してあげたりすることが大切なの
です。
たとえば、『在宅自己導尿管理料』という料金があります。これを、普通は、看護師が
説明書をわたして、道具をわたして、そして、すこし話しておわりです。でも、私たちは、
不安のある患者さんは、時間をつくって自宅までいきます。そして、自宅で、どんな風に
実施されているかを自分の眼で確認してアドバイスします。


理念のために(4) リベラルアーツ教育を通じて後進を育てること


 医学の谷間に挑戦することは、いままで教科書のなかった分野への研究にほかなりません。しかも、それは、実際の臨床でおこなうわけですから、”実験”という医療をするわけにはいきません。大切なのは、いままでのいろいろなデーターベース化された臨床データを、組み合わせて、そのことで、みえなかった病気の悩みに気が付くようになろうという”見方をかえる医療”、 そのような取り組みです。
 私たち医師は、早い段階で文系・理系の選別をされ、理系を選んだものが医学部に進んで医師をめざします。はやくから、理系のみの勉強にはいるとはいえ、医師をそだてるためには、多くの分野の単位を取る必要があります。私も大好きだったのが、哲学、文学、経済学、工学といった多岐にわたる分野で、どれも医学には関係のないものでした。しかし、いまから考えると、いろいろな分野を勉強できるのは、すばらしい経験です。これらは、”見方をかえる”能力を育てるのに役立ちます。


(どこでも、教授をはじめてしまう奥井医師)

 リベラルアーツ教育というものがあります。見方をかえる教育には最適のものだとおもいます。残念ながら、日本政府の方針で、発展的に廃止するときめられたものです。それは、1991年の大学設置基準に示されました。大学は、一般教育よりも専門教育をする機関であるという理由からです。
 しかし、大学とは、ほんとうは、人間形成の場にあたります。専門教育のみをほどこして、医師国家試験の予備校では、よい医師はそだつことはできないと思うのです。ですから、私は、日本の大学教育は、米国のように4年間のリベラルアーツ教育をする教養学部を卒業し、大学院としての医学部があるのが適切であるとおもいます。私自身も、東京大学大学院を卒業しています。日本でリベラルアーツ教育をしたひとには、わが母校東京大学に新渡戸 稲造がいます。私個人の思い出では、大学院時代にいろいろ指導してくれた現・東大教授の北村先生が、私に勉強を本当の意味でおしえてくれたとおもいます。そして、帝京大の堀江教授が、ゆいつ私とリベラルな話のできる尊敬する兄であり親友です。
 教育学者のジェームス・スティアート・ミルは、こう述べました。『人々が、法律家や医者は製造業者になる前に、まず人間なのであり、もし、我々が彼らを有能で分別のある人間に育てるならば、彼らを有能で分別のある法律家や医者にすることができる』
 また、西田幾多郎は、「純粋経験経験に関する断章』の中で、「人は生きるために哲学を要するのである。哲学は、我々の自己の矛盾よりはじまるのである。哲学の動機は、『驚き』ではなくして深い人生の悲哀でなければならない』と哲学の意義を、人生の曲がり角においての自分のとるべき道を選ぶための手がかりであることを示していると思います。


(大学での講義は、学生にわかりやすいように、イラストなどをもちいてすすめます)

 以前の哲学をまなぶとうことは、どんな学部でも必要でした。その内容は、デカルト、カント、ショーペンハウエルに象徴されるような自己省察の哲学を発達させたものです。医学の世界にも哲学があります。、医学は、それに追従するように、先人たちは、医学哲学を進歩させました。しかし、この50年間の哲学は、唯物論と唯心論、あるいはドイツ概念論と実存主義のイデオロギーとの対立を論じられるようになり、構造主義、脱構造によるプラトン以来の哲学の解体、再構築の哲学へと変化し、ミッシェル・フーコー、ジャック・デリダ、レヴィ・ストロースなどが中心になりました。哲学が混沌としはじめた時代です。
 このころ、医学哲学は、安楽死問題、脳死判定、代理母、クローン人間など、人類がかって遭遇できなかった重大な事象との出会いにより、医学哲学そのものが、実存的な結論をだすことに時間がかかり、そして、論文至上主義的なものが、一部の医師の心をまどわせて、十分な立証のないままの手術に踏み切る、いわゆる”実験”的な医療になりかねない状態になったのです。そのことを、埋め合わせるような医学哲学をたくさん読んだとおもいます。
 そして、そこに、経済がはいることで、医学哲学をもたない医療がふえたように思います。あたらしい病名をつくり、それに適合する薬を販売することや、あたらしい保険適応手術を認可し、それに該当するように手術を無理にあわせた行動がみられるようになりました。私の分野でいえば、骨盤臓器脱の手術の中に膀胱瘤という膀胱がおちる病気があり、これは尿道もおちます。ここで、保険適応が尿道に対するTVT手術なので、膀胱を修復することなしに、TVT手術のみするという誤った手術が多数でてきたことです。最近では、骨盤性器脱も問題です。膀胱脱手術のみメッシュの適応があるために、子宮や直腸の修復をおこなわずに、膀胱だけメッシュで手術をして、のこされた臓器の障害が悪化する例をよく聞きます。医学哲学が、医師の中で希薄し、一時の流行やイデオロギーに流される傾向の象徴です。残念ながら哲学のない手術です。
 その中にあって、次の世代の医師には、哲学をもってほしいのです。まず、世界の名著・日本の名著から読むことをすすめます。医学部にいても、文学、経済学、法律学、工学を、おなじように、医学と同等な実学として学ぶ姿勢です。そのことが、私が取り組んでいるような医学の谷間にあたる分野への挑戦になるのです。そして、おおくの本から、倫理、社会と科学のつながり、批判的思考、市民性、美的感受性、自己マネジメント能力を、自分でみつけることができるようになれば、リベラルアーツ教育をうけた医師になることが可能です。そして、”ものの見方をかえる”知識がみにつくのです。骨盤臓器脱には、いままでない領域だけに、哲学が必要なのです。
 最後に、これから私と同じように、教科書のない分野へ進む医師へ、イェール大学のグリズワイド総長の言葉をのせます。『リベラル・アーツの目的は、個人がおのおの選択するキャリアに入るまえに、そのキャリアに可能な限りの知性、精神的能力、判断力、そして特性をもたらすことができるように、知的・精神的な力に目覚めさせ陶治させることにある。』


理念のために(5) 新渡戸稲造の言葉から


 新渡戸 稲造は、多角的な視野でものごとを、見聞し、判断するように、学生たちにおしえてきました。その言葉は、そのまま、いまの私の目指す医療に通じることがおおいのです。

『勇気がある人というのは、心の落着きが姿にあらわれているものです。』
このことばは、手術のときに、いつも思い出します。論文に乗ることを目指した手術は、必要ありません。その患者さんが、本当に何を苦しんでいるかを知る心が、落ち着きだとおもいます。

『武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。』
医療は、知識ではありません。知識は大切です。私は毎日勉強をして新しい情報を仕入れていくことを大切におもいますが、大事なのは、患者さんと付き合うという行動です。

『人間は、それぞれ考え方やものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である。』
毎日臨床をしていて、全くだとおもうところです。自分の尺度で測ってはいけません。ゆとりをもって、おおきな心で、相手に接することが大切です。

『自分の現在の義務を完全に尽くす者が一番偉いと思う。そして、自分の現在の義務は何であるかをはっきり認め得る人は、人生の義務と目的とを理解する道に進むのであろうと思う。』
医療にもっとも適した言葉だとおもいます。現在の義務とは、目の前の患者さんに、できるだけの努力をしていくことが、その医療にたいしての義務とおもいます。
しかし、その自分が、こんをつめて、力がだせなくなってはいけません。ゆとりをもつこととと、体をきたえること、そして、たのしいと感じで笑うこと、それが、義務を果たす能力につながります。そうおもって、楽しく人生を考え、ゆとりを感じながら、でも、一生懸命に過ごしていきたいと思います。









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